(未完成)作品の楽しみ方的な話を書きたかった

下書き的なプロットなので記事と思わずに読んでください

気が向いた時に清書したいです

 

 

作品を利用したコミュニケーションの話をひとつしてみたい


コミュ障という言葉もかなり浸透してきたように思う


「コミュ障」を売りにしているアイドルなどなども所謂サブカルチャー界隈では珍しくない(個人的にはそのようなマーケティングはデメリットの方が圧倒的に大きいと思うのだが)

実際、好きなことでしか話せない人は多いと思う

結果的に作品がコミュニケーションツールとなることもあるだろう

そしてコミュニケーションのために作品を観る、という理由が割合として多くなるのも分かる、「○○を見ていなかった/知らなかったので周りの会話について行けなかった」という経験はかなり普遍的なものだと思う
(それはコンテンツの一極集中を招き「覇権」がより覇権になるだけでファンと作り手の世界の拡大には繋がらないという批判も一応ここでしておく)

上の傾向が続くとコミュニケーションのために作品を「消費する」人が現れる可能性がある

あくまで私見だがコンテンツは受け手と作り手がそれを「育む」ことにより作品の世界を拡げていくものだと思っている、だからコンテンツを「消費する」だけの人間はあまり好きではない(そういった人間が「オタク」を自称していたり、そう定義されるような人物なら尚更嫌いだ)

別に「ファンならかくあるべし」という高説を垂れるつもりはない、ただそういった人達のせいで作品の良さが伝わらなかったり失われたりする傾向は確かにあると感じている

コンテンツのコミュニケーションツール化のもう1つの結果として、「褒めるために」や「叩くために」作品を観る傾向が増えてきているのではという懸念も(私の中で)ある

無論そういった傾向は昨今に始まったことではないが、情報伝達媒体の進化(要はインターネットの普及)などで誰でも批評家に近いことが出来るようになった
(今のインターネットには素人の書いた作品や物体の「レビュー記事」が溢れているが、「感想記事」に変えた方が実態に即しているのではと常々思う)

これは私の記憶だが、以前知人が「アニメの作画崩壊シーン集」のような動画をスマホで周りに見せながら複数人で笑っていたのを見た記憶がある

アニメの作画崩壊にえも言われぬ面白さがあるのは事実だが、「作画崩壊を探すためにアニメを観る」ようになっている人を見ると本末転倒感というか、この人は本当に作品を楽しめているのだろうかという思いを感じてしまう

ネタ的に楽しむことを否定する訳では無い、また「作り手の意図する楽しみ方でのみ楽しむべきだ」と言いたいわけでもない、この辺りは難しい問題になりうると思う
(個人的な話をすると魔法少女まどか☆マギカがっこうぐらし!といった作品に対してどのような姿勢で触れるべきか全く分からない)

 

個人的にはもっとシンプルに作品と向き合いたいと思っている今日この頃である

当然実践するのは難しいし完璧にそう出来るとは思っていない

ただ、作品のもつ様々な側面を吟味した上で、それに合った楽しみ方が出来れば、私「達」の作品との関わりはより楽しくより良いものになるだろうと感じているところだ

 

読んでくれてありがとね